ガバメント・シャツ

なんとなく秋めいた風が吹き始めています。
と同時に台風もやって来たりして。
そして新総裁も誕生しました。
新総理の野田さんは、あくまで見た目ですが、
久しぶりに、私たちが子どもの頃から見てきた、
昭和の政治家然とした政治家登場という感じがします。
思えば平成も20年を過ぎた頃から、麻生さん、鳩山さん、菅さんと、
政治家らしくない印象の総理が続きました。
麻生さんはマンガオタクだし、鳩山さんは宇宙人だし、
菅さんは学生運動家っぽいし。
まあ、学生運動家は裏を返せば政治好きなわけですけれど。
この3人は「政治家も変わったなあ、時代も変わったんだなあ」
と思わせてくれたものですが、
野田さんになって、一気に時代を遡った感じがします。
よくも悪くも、まだ日本が未来を信じて突き進んでいた時代の
ギラギラした皮脂に覆われている感じ。
昭和40年代後期から50年代初期くらいの感じ。
何がそうさせるかというと、
まあ、単純に顔つきと体つきと服のセンスだと思います。
ファッションセンスに関しては、実は菅さんとほぼ同じなのに、
なぜか菅さんは野田さんほどおっちゃんぽく見えない。
野田さんの方が年下なのに。
で、この二人はシャツのセンスがそっくりです。
白地のシャツにボタンやボタンホールの色が黒系で極端に際立つスタイルです。
しかも台襟の裏地に違う柄の素材があしらわれていたりします。
この手のシャツは、ピンとキリが激しいので、
ヘタに手を出すとファッション的やけどをします。
自分の服に関するポリシーがしっかりしていて、
シャツはこうあるべき、という信念のもとにピンを選んで着ているのなら、
それなりに説得力があると思うのですが・・・。
そうでなくて「ちょっとおしゃれに見えたいけどよくわかんないし。
こういうのがおしゃれってやつなのかな? 」
と迷いながら選んでしまうと、ほぼキリを引くし、
その迷いが如実に表面に現れてしまう面倒なタイプです。
「オレはファッションに興味ないんだよねえ」と宣言してるような印象になりがち。
迷いがある時は、無地やストライプを着ておく方が、ずっとおしゃれに見えます。
つまり、このあたりのボタンやボタンホールに色を持たせて、
アクセントにしているシャツは、
どうも体験版とか、サンプルセットのようなもの、という印象がぬぐえません。
正式のものではないけれど、
とりあえずこれでお茶は濁せる感が漂っているんですね。
濁せると思っているのは本人だけで、
正規のフルラインを愛用している人から見れば「ああ体験版ね」的な。
とりあえず服はどうでもいいんだなと思われると思いますが、
とはいえ「ボタンとボタンホールの色が変わっている」ものを選んでいる所が、
ちょっとお茶濁したい下心が透けてしまっているわけです。
ここで王道にして正統派の無地やストライプを選んでおけば、
心ある正統派でいられるものを。
というわけで、管さん、このシャツどうにかならないかと思っていた所に、
野田さんが勝利し、総理の椅子と、
色ボタンシャツを引き継いでしまったという・・・。
ライバル海江田さんは無地シャツ愛用者なので、
少なくともファッションセンス的に見れば期待したい所でした。
国会で思わず泣いちゃった時も、
淡いパープルか赤みがかったサックスのボタンダウンシャツ着用。
一方、国会きっての「濡れたまなざし」の持ち主、前原さんは、
このクールビズのご時世でも、ノーネクタイの印象がありません。
いつテレビで拝見してもしっかり締めてます。
菅さん以前の総理というと、やはりオシャレ度が高いのは麻生さん。
スーツはいかにも高級そうなビスポークだし、
外遊した時に飛行機のタラップ上で手を振っていた時のコートは、
テレビ画面でもはっきりと伺えるほどのしなやかさと上品な艶。
もうカシミア100パーで間違いありません。
夏は無地のシャツかストライプ。
たまにクレリックシャツを着るくらい。
時たまポケットチーフもあり。
一方、鳩山さんは、というと、
オフの時はハート模様や花のモチーフが入ったシャツも着て登場するし、
あの奇天烈な色あわせのシャツで「ルーピー」とすら言われてしまったほど。
とりあえず個性派ということはわかります。
最近は大人しめなカッコですよね。
民主党といえば原発事故直後、連日の記者会見で一躍時の人となった枝野さん。
当時は作業服の襟を立てたスタイルがなんだかなあと思いましたが、
平時の枝野さんはおしゃれです。
無地かストライプのボタンダウン派で、
夏場は綿素材らしきジャケットを着用。
枝野さんと似たファション感覚の持ち主が細野さん。
この方もまた、シャツは白かストライプのボタンダウン派です。
お二方とも、デパートに入ったメンズセレクトショップで、
服を揃えている40代前後のビジネスマンのスタイリングという感じがします。
そして、印象的なスタイルといえば、自民党総裁の谷垣さん。
この方はしばしば、台襟だけのシャツという、文化人好みなチョイス。
襟が極めて小さくて胸ポケット2個付きというような、
変形デザインも着こなす派です。
谷垣さんの場合は、ソフトな風貌が政治家らしく見えなくて、
このデザイン重視なセンスも今の所、
無理矢理っぽくなくてナチュラルな感じがします。

というわけで、久しぶりに政治家っぽい風貌の野田さん。
これからどんなファッションを・・・ではなく、
どんな政治手腕を見せてくれるのでしょうか?

焼き鳥屋のつぶやき

そろそろ猛暑も越えたか?と思われる今日この頃。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?

先日、近所の焼き鳥屋さんの前を通りかかった時のことです。
カウンターだけの小さな店で、店の前に小さなテーブルと椅子が置いてあります。
とはいえイマドキはやりのオープンカフェのような小じゃれたものではなく、
失礼ながら粗大ゴミの日に路上に放置されたテーブルと椅子のほうが、
まだマシじゃないか?と思えるような、そんなレベルのポンコツっぷりです。
しかも、店の前がセットバックしているわけでもないので、
もろ、路上に置かれている状態です。
とはいえ昨今のオープンカフェ効果やお花見文化に慣れ親しんだ国民性もあり、
路上で飲食することへの抵抗はあまりないのかも知れません。
などと思いつつ、ガテン系中年男性2人が飲んでいる真横を通り過ぎようとした瞬間、
ひとりがもうひとりに「フェイスブックやってる?」
とたずねたのには、ちょっと驚きました。
聞かれた男性は「ああ?」と質問の意味を理解していなさそう。
「フェイスブックいいよお、やんなよ、え、じゃあツイッターは?」といったあたりで、
私は彼らの会話が届かない距離まで来てしまったのが残念でなりません。
フェイスブックの何がカレをこんなに魅了しているのか、
そして何をつぶやいているのか、ぜひその全貌をお聞きしたい所でした。
先日、オーストラリアから里帰りした私の友人AちゃんのパートナーDは、
2年前フェイスブックで日本女性と知り合いメル友になったのですが、
その日本女性の家はなんと、Aちゃんの東京の実家のすぐ近所という、
驚愕の事実が判明し全員びっくり。
なんとDは、20年以上前に知り合ったリアルパートナーと、
2年前に知り合ったオンラインのメル友を、同じ町内の住人から引きあてたという、
驚異のピンポイント攻撃にして驚異の命中率を誇るのでした。
地球は広いっていうのに。
で、うちの近所の焼き鳥屋で飲んでるおじさんとも、
いつかDは必ずやフェイスブックで巡り会う日が来るだろうと信じています。

というわけで、インターネットがめざましい進化を遂げたのは、
世紀が変わった頃からでしょうか?
それまではパソコンがある家も限られていました。
’90年代後期まで私が住んでいたマンションの住人は企業のサラリーマン家庭が多く、
そういう家には必須アイテムとしてパソコンがありました。
会社のIT革命に乗り遅れないように、
お父さんたちは涙ぐましい努力をしていたわけです。
でも、まだネットやメールを活用している家庭は少なかったように思います。
2000年を過ぎるとブロードバンドも発達して、
大容量の物が高速で送れるようになり、定額制度が広まったおかげで、
家庭におけるパソコンの役割は急速に拡大して行ったわけです。 
さらに最近は、スマートフォンやタブレットの普及で、
パソコンを使わずにネットにつながるヒトが急増しています。
それ以前から10代の子達のネットはもっぱらケータイ。
スマホどころか、あの小さなケータイの画面で、
ネットにつなげているのだからツワモノです。

そんな今日この頃。
アップルのCEOであるスティーブ・ジョブスが辞任を表明しました。
パソコンといえばウィンドウズが圧倒的ですがマイノリティであるMac派にとって、
アップルの共同創設者のジョブスはカリスマ的存在です。
ジョブスと、マイクロソフト創設者であるビル・ゲイツとは奇しくも同い年。
彼らはまだ大型計算機であったコンピューターに高校生の頃に出会っています。
二人の生育環境は対照的で、かたや裕福な家庭に生まれ育ったお坊ちゃまのゲイツ。
地域で一番授業料が高い高校を経てハーバードへ。
かたや、未婚の母から生まれたジョブス。
父に当たる人はシリア人の政治学者で母親も大学院生だったというから、
頭脳的には恵まれていたのだと思います。
実母は最初から子どもを養子に出す予定で出産し、大卒の里親を捜していたのに、
申し出たジョブス夫妻は高卒と中卒だったので躊躇したとか。
それでも、夫妻が必ず息子を大学に進学させると約束したので養子縁組が成立。
実際、ジョブス夫妻は裕福ではなかったけれど息子をリード大学に進学させました。
でも、彼は大学に進んでから迷います。
決して経済的に余裕があるわけではない両親が、
懸命に貯めてきたお金を授業料に費やしている。
そのことに意味を見出せなくなって、彼は大学をやめてしまうのですが、
やめたあとも大学に通い、
哲学やカリグラフィ(西洋書道)の授業にもぐりこんでいました。
この時に学んだ美しい文字や文字間のあけかたなどが、
のちにマッキントッシュのタイポグラフィーづくりに役立ったのだそうです。
「もし、あの時に大学をやめていなくて、必須科目以外の勉強をする余裕がなく、
カリグラフィーの美しい文字に出会っていなかったら、
マックに美しいフォントが組み込まれることもなかっただろう、
でも、当時はそれがあとになって役立つなんて考えもしなかった。
ワカモノよ、あとになってプラスになる・ならないなんて、今考えることはない、
大事なのは自分のやりたいことを自信を持ってやることだよ、
それがあとになって点と点で結ばれるから」
と彼は、スタンフォード大学の卒業式に招かれた時にスピーチしました。
これは「伝説のスピーチ」といわれています。

ジョブスが画期的だったのは、
それまで特殊な業種のための計算機であったコンピューターを、
誰もがボタンひとつで操作できる家電に仕立てたこと。
さらに、生演奏以外はレコード盤やCD盤という形あるものだった音楽を、
拡張子で通信するものに変えてしまったこと、
さらに、パソコンを封筒に入れてしまったこと(iPad)。
そして、なんと言っても彼の特徴は新製品を発表する時のファッションです。
そんなハレの舞台で、ここぞという大勝負をかける時、
ジョブスの勝負服はいつもTシャツにジーンズ。
でも、iMacの花柄や水玉模様モデルを紹介するために来日した時のジョブスは、
珍しくシャツにネクタイというスーツ姿でした。
そして、アップルを創設した頃の若かりし彼も、
たいがいシャツにジャケットというスタイル。
(しかも超イケメン!)
その後、ふくれあがっていく資産に抵抗するかのように、
Tシャツとジーンズという柔な服に着替えたジョブス。
アップルの基調講演での勇姿をもう見ることができないと思うと寂しい限りです。
以前から悪性腫瘍と闘っていて、ここ数年の彼は痩せて、
燃え尽きたのかとさえ思える体つきでした。
辞任の理由は体調悪化のようです。
これほどの原動力を失って、これからアップルがどうなって行くのか、
Macファンとしては気になって仕方ないといった所です。

ニュースはネットで読み、音楽もネットで聞き、映像もネットで観て、電話はスカイプ。
そんな人たちが増えていて暮らしの道具はどんどん変化しています。
少なくとも、パソコンは今、仕事道具であると同時に、
ほとんどのヒトにとって楽しいオモチャでもあるという、
ひとつで何役も兼ねてしまう機能的な物体です。
これで材料さえ入れれば調理してくれるという家電が登場してパソコンにつながれば
おまけにパソコンがロボット型になって、コノミの性格やルックスが選べるようになれば、
人類は絶滅に向かうんじゃなかろうか、恋愛や結婚がばかばかしくなって。
とか思ったりする晩夏の夜です。

*モデルさんの広告写真?というくらいのイケメンは1984年の若きジョブス。
80年代らしいシルエットのスーツ。案外コンサバ?
ちなみにこのパソコンに似たやつ、うちの事務所にあります。

ココロ鎮まる川

現実の世界では夏真っ盛りですが、
エディトリアルではすでに秋冬の企画が
進行しています。
そして夏といえば開放的な遊びの季節、
秋といえばその反動で落ち着こう、
という傾向があるような気がします。
最近、「リラックス」や「ヒーリング」
「メンテナンス」をキーワードにした
取材や撮影が続きました。
猛暑と節電の夏が過ぎ、弱った体と気持ちをメンテナンスしましょう、
というコンセプトのものがひとつ。
これは、健康にまつわる情報誌の企画で、
気分を落ち着かせるような香りのハーブティを飲んでゆっくりしよう、
音楽聴いて癒されよう、お風呂でセルフマッサージしよう、
という、「いかにリラックスするか」の提案をもとに撮影しました。
音楽を聴いてリラックスするというのは実際、
音楽療法という名前まであって、その効果が実証されています。
でも、何を聴いてリラックスするかは人それぞれですよね。
クラッシックが何よりという人もいれば、いやいやジャズだね、
そこはレゲエでしょ、断然ワールドミュージックよ、いやロックだろう、
とそりゃもう十人十色なはず。
私の場合は、いわゆるヒーリング音楽は苦手です。
たとえばCDショップやヒーリンググッズの店に並んでいる癒し系CDには、
逆にいかにも「癒されろ」的魂胆を感じて全く癒されません。
というわけで、仕事に行くときはやや戦地に赴く気分でハードな音、
イギリスの80年代のオルタナティブ系なんかで気合いを入れてます。
逆に戦い終わって日が暮れて、家路に着く電車の中では、
お気に入りのJ-POPのシンガーの曲なんかを聴いていることが多いです。
イヤフォンからの音が頭蓋骨にシャワーみたいに降り注いで、
心身の疲れを癒してくれます。
最近、ちょっとお疲れ気味なので、南国の海辺で波音聴いてうたた寝したい、
海原を染める夕陽をまぶたに感じながら、なんて思うわけですが、
時間が圧倒的に(まちょっと予算も)不足しております。
じゃあ、ハワイとかバリ島とかゴアとかイビサとかの海の、
波の音だけ入ってるCDとかかけて、寝転がって目を閉じれば、
別にうちでもOKなんじゃない、目、つぶってりゃ本棚とか見えないし。
そりゃいいことに気がついた、居ながらにして家庭内イビサだわ!
という画期的な真実に気づき、今、波音CD物色中です。

昨日は、とあるエクササイズ法を考案した先生の本に掲載する、
ポーズ集の撮影がありました。
モデルさんにポーズをつける先生。
その合間に取材しながら「実は右腕が上がらなくて」と先生に相談したら、
効果的なエクササイズを教えてくれて、その場で直接指導していただきました。
で、やってみたら、その直後は治ったのですが、あれから12時間。
また戻ってます。
ま、継続してやらないとダメですね。
先生いわく、筋肉は緊張すると硬くなる、すると血行が悪くなる、痛みが出る、
だから、緊張した筋肉をリラックスさせてあげればいい、
すべてはそこから始まる、のだそうです。
筋肉もリラックスしたい時代なんだわ。

何かと大変な世の中ですから、溜まったストレスがココロに来たりカラダに出たり。
近頃は大人はもちろん子どもばかりか、
犬や猫すらストレスを抱えているんだそうです。
ポイントは、どうやってストレスをなだめすかしながら、
歩を進めて行くか、でしょうか。
私のとっておきの気分転換法は、近所の川に行って水の流れを眺めること。
せせらぎを聞き、止まることなく流れ続ける水を見ていると、
いつのまにやら私のカラダの中まで川が流れ出して、
うっとうしいものがいっしょに流れて行く様な気がするのです。
10分ほどそんな感じでいると、かなりすっきりします。
いわば、ココロの洗濯ってやつでしょうか?
そして、川辺の野草を撮影して帰る頃には、鼻歌のひとつも出ようもの。
川辺には今、そんな洗濯家(せんたくや、でなく、せんたくかと読んでいただければ)
らしき人々がたくさん集っています。
大きな犬と並んで水際に座っている人、男子2人で並んで座っている人、
カラスと並んで座ってイヤフォンで音を聴いている人、
いつまでもただ、走る川面を眺めている人。
水に流すとはよく言ったもので、川に集う人々の様々思いを浄化しながら、
今日も川は流れて行きます。

アナログ最後の日

2011年7月24日。
アナログ放送が終了しました。
1953年に開始したアナログ放送が58年の歴史を、正午に終え、
25日深夜0時に完全に停波しました。
ついにこの日が来たんだなあという気がします。
あと2年、あと1年、あと半年、あと1ヶ月・・・。
みなさんはカウントダウンのどのあたりで、地デジを準備されましたか?
我が家では、半分が2年前に地デジ化を済ませ、
半分のテレビは先月やっと地デジになりました。
放送関連の広報紙に関わっているので、この半年、
ずっと地デジの情報を書いてきました。
「地デジの準備はお済みですか?」と書きながら、お済みじゃないですと内心答え、
こうなったらぜひ、ブルーバックに「アナログ放送は終わりました」の
文字が表示されるのを、この目で目撃したいもんだ!とずっと思っていました。
が、やはりカウントダウンが迫れば慌てて家庭内の全テレビを、
地デジ化してしまった気弱な凡人であります。
 そんなテレビですが、最近本当に見なくなったというのが正直な所。
食事の用意をしている時にニュースを見る、ご飯を食べながらちょっと見る、
しかも、震災以降は圧倒的にNHKです。
あとは、もし時間があればDVDを見たりパソコンで何かを見たりしているし。
あるいはケーブルテレビに加入して、映画や音楽、スポーツ、
アニメの専門チャンネルを見ている人も多いのではないでしょうか。
それでも時たまテレビを見ると、たとえばバラエティなんかで、
肝心の時にCMが入って待たされる。と、もうイラッとします。
結局これがテレビ離れの原因なのだと思います。
テレビはコマーシャルを見せるための装置で、
すべてのテレビ番組はスポンサーのお知らせを伝えるために作られているのだから、
視聴者はコマーシャルにつきあわなければならない。
その図式にときたまうんざりしてしまうので、
「いいところでコマーシャルになった」とたん、それを潮時にテレビを消して、
ほかのことをしてしまうというわけです。
その反面、コマーシャルには優れたモノも多いし、
録画しておいた番組を数年ぶりに見ると、
コマーシャルのあまりの懐かしさに番組そのものより感慨深いこの皮肉。
ともあれ、ケーブルテレビやパソコンは自分の好きなモノを好きな時に、
自分のペースで楽しむことができる。
その魅力を知ってしまった現代人には、一番知りたいことの前にCMが3分入って、
CMタイムが終わるとまたスタート地点まで戻されて、
ヘタするとまたしてもCMが入る、
なんていうテレビの王様加減につきあう程ヒマじゃないと、思えてしまいます、
ほんとはそれほどヒマだったとしても。
そんなテレビですが、昭和の頃は本当に、
「なんでも見せてくれる、ときめきの箱」でした。
 私が子どもの頃はアメリカのテレビ番組に夢中になったものです。
 ポパイとか宇宙家族ロビンソンとかモンキーズとか。
 トムとジェリーに出て来るチーズにはなんであんなに穴があいているんだろうとか、
興味津々に見入っていたものです。
 お笑い番組でコント55号をはじめて見て、息が止まるほど笑い転げた日のことも、
ものすごくよく覚えています。
 日本のドラマの秀作もたくさん生まれましたが、
何故か今、思い出すのは音楽に絡んだ番組です。
 インターネットがなかった頃、海外の音楽シーンを
垣間見せてくれるのはテレビでした。
私が生まれ育った東京のローカルテレビは、
12チャンネル(地デジでは7)、テレビ東京です。
この局は大昔、まだ番組がたくさん作れるほど予算がなかったらしく、
午後3時くらいから5時頃までの時間帯は番組の間にスポットとして、
海外からの映像を流していました。
それがなんとたいがい英国のポップミュージックのプロモーション映像で、
ロック少女だった私にはヨダレが出るほど嬉しいシロモノでした。
ニッティ・グリッティ・ダート・バンドなんていう、
かなりコアなバンドの映像もここで観ました。
当時は来日する以外ではバンドのメンバ―が動いている姿など、
見られるチャンスがなかったのですから、このテレビ東京のスポット放送は、
かけがえのない宝物のような存在だったのでした。
 そんな時代に始まった画期的な音楽番組がビート・ポップスです。
 土曜日の午後3時からなので、当時中学生だった私は家に走って帰ったものです。
 ディスコクラブ風にしつらえたスタジオで、
DJブース風な段の上に司会の大橋巨泉が座り、
当時のミュージック・ライフ編集長の星加ルミ子や、
ティーン・ビート編集長の木崎義二なんかが脇を固めていました。
大橋巨泉がオヤジなだじゃれで曲を紹介するのですが、
たとえばデイブ・デイー・グループの「キサナドゥーの伝説」なんて、
「木更津の伝説」だったし。
映画紹介コーナーもあって、それもだじゃれのコントではじまります。
「100挺のライフル」を紹介した時は、
藤村俊二がお百姓さんのカッコで桶をかついで登場、
「百姓のライフル」とつぶやくという、だじゃれ好きにはたまらない場面の連続でした。
洋楽のランキングを紹介しつつ、最新情報や映画紹介コーナーもあるという、
音楽といえば歌謡曲が主流だった当時にしては画期的にして、
今の情報バラエティのプロトタイプになったような番組でした。
私はこの番組でローリング・ストーンズの「黒くぬれ」をはじめて聞いて、
以来ストーンズのファンになったのでした。
この番組、曲をかけている間は、スタジオで、
「ゴーゴー」を踊っている若い男女の観客を映し、
その合間にはターンテーブルに載って回っている、レコード盤も映し出されるという、
今にして思えば何がおもしろいのかと思いますが、それもまた画期的だったわけです。
大橋巨泉は伝説の深夜番組「11pm」においても代表的な司会者の一人でした。
このヒトは60年代にいち早く洋楽を紹介したり、
海外にロケに行き、たとえばヨーロッパで若者に人気のクラブに侵入という場面で、
勇敢にもダンスフロアで踊ったりしていたのですが、
いつもピークドラペルのタイトなスーツに白シャツ、ネクタイというスタイル。
七三の髪に黒縁メガネもトレードマークでした。
今や、ビジネスシーン以外で、海外旅行に、
スーツにネクタイで挑むヒトはいないでしょうし、
巨船さんのスーツ姿は時代の記憶の絵として強く印象に残っています。
スタイリングのチョイスだけでいえば、
フェデリコ・フェリーニの「甘い生活」における、
マルチェロ・マストロヤンニにもひけを取らないダンディーさでした。
この番組は70年代に入ると、愛川欽也が司会の日に今野雄二という、
先鋭的な音楽評論家が参加していて、
当時のイギリス音楽シーンの最新情報を映像とともに紹介してくれました。
クラッシュというイギリスを代表するパンクバンドの、
「ロンドン・コーリング」のPVや、
サイケデリック・ファーズというオルタナ系バンドのデビューシングルのPVも、
11pmではじめて見て、ものすごく興奮したのを覚えています。

80年代初期の「夜のヒットスタジオ」もなかなか隅に置けない番組で、
時たま英国のスタジオからの中継と称して、
イギリスのニューウェイブバンドを紹介したりしていました。
五木ひろしの演歌のあとにエコー&バニーメンが登場するという、
非常にグローバルかつ、並列に扱うことによって、
ある意味すべてがワールド・ミュージックと化してしまうという、
とても興味深い現象が起きる番組でした。
そして80年代半ばに入ると、MTVがはじまりました。
マイケル・ジャクソンはもちろん、シンディ・ローパーや、
あのヒトやこのヒトたちのPVに見入ったものです。
東京では日曜の深夜に放送され、2時頃にMTVが終わると、
また明日から一週間がはじまるという独特の気分・・・、
(唄子・啓助の「おもろい夫婦」も日曜夜で、
終わった時同じ思いにかられました)
あの番組を思い出すとそんな気分が蘇ってきます。
MTVがきっかけでヒットした曲はたくさんありますが、
「Video Killed a Radio Star」 もそのひとつでした。
テレビの登場によってラジオのスターの活躍の場が、
奪われてしまったという内容で、バグルスのヒットソングです。
その後「Internet Killed a Video Star」 というパロディソングもありました。
映像はマンガぽいアニメで、
マイケル・ジャクソンを思わせるシンガーがテレビで歌っています。
でもテレビ画面はミュート(消音)になっていて、
部屋の住人はテレビに背を向けてパソコンに夢中。
しまいにはテレビを押し入れに投げ入れてしまうけれど、
テレビではまだシンガーが歌っているという。

今、音楽はyou-tubeを見ればたいがいのモノが見られて、
iTunesからその場でダウンロードできます。
 地球の反対側で昨日生まれたばかりのバンドの音と姿を、
今日、ネットを通じてみることもできます。
あるいは、30年も前のパンクバンドの、今は亡きボーカリストの姿も、
見たい時に検索して見ることができます。
 それは確かに奇跡のようなことかも知れません。
 果たしてインターネットはいつ、誰に、どうやって殺されるのでしょう?
 

宇宙でポロシャツを。


                               (写真はNASA提供)

 宇宙の果てってどうなってるんだろう?
 そもそも宇宙に「果て」はあるのか・ないのか? 
 子どもの頃、「果て」を考えると、いいようのない不安に襲われたものです。
 ともあれ宇宙好きで、ハインラインとかの少年少女向けSF小説を読みあさっていました。

 先日、スペースシャトル「アトランティス」の打ち上げがありました。
 打ち上げから2日後、シャトルは無事に宇宙に浮かぶ国際宇宙ステーションに到着し、
ドッキングも成功。
 開始以来30年を経たスペースシャトル飛行計画も終止符が打たれ、
これがシャトルにとって最後の飛行になりました。
 スペースシャトルといえば思い出されるのが、1986年のチャレンジャーの事故です。
 あの日、打ち上げを現地で見守っていた人、あるいは実況中継をテレビで見ていた人達の目前で、
大空をグングン上昇して行ったチャレンジャー号。
アラビアのモスクに巨大な蛾が張り付いたようなシャトルの姿は、
どこか厳かで空飛ぶ寺院のようにすら見えました。
次の瞬間(正確には打ち上げから73秒後)、私たちが見たのは、
青い空を背景に音もなく白煙が盛り上がっていく光景でした。
それは長く首を伸ばした白鳥のようなシェイプを描きながら、
モクモクと成長していきました。
何が起こったのか、世界中が呆然となっていた最中、管制官の声が聞こえたのです。
“”The vehicle has exploded. Flight controllers are looking very carefully at the situation.”
「乗り物は爆発しました。私たちは状況を注意深く見守っています」
そのクールな口調は当時の私に、世界一落ち着いている男と思わせてくれました。
SF映画「2001年宇宙の旅」に、HALというコンピューターが登場します。
彼は非常に優秀な人工知能で、しまいには人のような感情をもち、
意のままにならない他者を排除しようと殺人すら犯します。
しかも、悪事がばれて彼の生命維持装置である電源が切られそうになると、
歌を歌って相手の情けにすがるという、きわめて人間的な手段に出ます。
そんなHALは、ヒトのような感情を持ちながら、決して激することなく、
その口調は常に冷静沈着です。
チャレンジャーの事故を伝える管制塔のヒトは、
本当にHALさながらの落ち着きっぷりでした。
誤解を恐れずにいうなら、爆発の映像の美しさとクールな口調が妙にシンクロして、
あの事故は記憶に強く刻まれています。
 ともあれ、この事故と2003年に再度起こった事故によって、
スペースシャトル計画は終息へと向かわざるを得なかったと言われています。
 そんな事故から25年。再び実況中継された最後の飛行。
 この四半世紀で、アメリカも世界も大きく変わり、そしてもちろん、
日本はここにきて大きく変わりました。
ここからの近未来、世界はどんなふうに変わっていくのでしょうか?

 宇宙や近未来を描いたSF映画のランキングが、先日英国の映画雑誌で発表されました。
そのベスト3は、
 1位・ブレードランナー
 2位・スターウォーズ・帝国の逆襲
 3位・2001年宇宙の旅
というラインナップでした。
 ブレードランナーが1位というのが、ちょっと意外な気がします。
鬼才リドリー・スコットの監督作品でとても好きな映画だし、
近未来の街の舞台がトーキョーもどきというのも日本人としては親近感を覚えるし。
でも1位というのはアリか? 
やっぱりイギリス人のサブカル好きというか、へそ曲がりというか。
この映画、日本で投票したら絶対1位にはならないんじゃないかと思います。
2位の帝国の逆襲。宇宙もの近未来ものといえばお子様向けが多かった時代に、
子どもだましでないマジなSF映画が出てきたと思わせてくれた作品です。
ワクワクさせてくれると同時に、すべての造形がものすごくアーティスティックで、
普通でいえばこっちが1位のはず。
そして3位の「2001年宇宙の旅」は、SFとかの枠を取り去っても私の中で名作中の名作。
誰もが抱く(であろう)宇宙の神秘への好奇心や恐れをこれほど如実に哲学的に、
かつ造形的に描いた映画は、これがはじめてではないでしょうか? 
しかも、何がすごいって、宇宙を静かに進んでいく宇宙船の映像に合わせた音楽が、
近未来的な電子音などでなく、優雅な「美しき青きドナウ」。
そしてメインタイトルのBGMは「ツァラトストラはかく語りき」。
前編通してクラシックの名曲が選ばれています。
近未来の映像にあえて古典的な音楽を合わせる事によって、
空間が時間的な縛りから解放されているのでした。
そして、さらに「2001年〜」が画期的なのは、
宇宙船の乗組員が宇宙服ではなく、ポロシャツを着ていること。
もう、はじめてこれを見た時は、まさに目からウロコでした。
近未来を表す際にはスペーシーな服というのが長年のお約束であったはずなのに、
監督であるスタンリー・キューブリックは真逆のことをやってのけたのです。
つまり、宇宙船の中で普段着のカジュアルウェアを着ていられることこそ、
科学が進歩した近未来での環境なんですよ、ということを示したのでした。
そのアプローチは当時本当に新しくて、
2001年は宇宙でポロシャツなのだと私は軽い感動を覚えたものです。
そして今、遠い宇宙から送られてくる映像を見ると、
国際宇宙ステーションの中の人たちはポロシャツやラガーシャツ、
ドレスシャツといたって普通。
短パン着用の人もいて、スペース・クールビズなのでした。
「2001年〜」というのは映像的にも優れた映画だけれど、
音楽やファションという時代の影響をうけやすい分野において、
普遍のものを選ぶことで古くなることを回避しています。
だからこそ、この映画はいつ見ても新しくて斬新なのだと思います。

その点、ブレードランナーは時代を感じさせる映画です。
そのあたりもおもしろいけどね。
個人的にはSF映画といえば「バーバレラ」や「A.I.」「地球に落ちて来た男」を入れたいところ。
10位内に「未知との遭遇」が入っていないのも不思議です。
それまで宇宙人といえば「侵略者」だったのが、はじめて友好的な宇宙人を描いた
ということでは画期的だと思うのですが。
一方「バーバレラ」は、ポップでファッショナブル、かつエロティックなSF映画です。
その後政治活動にのめりこんで闘士になってしまったジェーン・フォンダが、
まだ若く美しくセクシーな女優で、
ロジェ・バディムというこの映画の監督の愛妻だった頃の作品。
ジェーン・フォンダの美しさと抜群のスタイルとコケティッシュな魅力が堪能できる逸品です。インテリアや衣裳も今見るといかにもシクスティーズなレトロモダンでおもしろい。 
古き良き近未来の世界観をたっぷり楽しめます。
ちなみに悪の女王的な役どころで登場するアニタ・パレンバーグは、
ローリング・ストーンズの伝説的初期メンバー、故ブライアン・ジョーンズの元恋人で、
その後キース・リチャードの恋人になったヒト。
中性的な美貌で、美青年のブライアンとは「双子みたいなカップル」と言われていました。
近未来映画ながら、60年代当時のヨーロッパのヒップな空気が伝わってくる作品です。

一方「A.I.」は、感情を持ったロボットとヒトとの交流を描いたSF作品。
これはスタンリー・キューブリックが温めていた企画だそうで、
その意志を継いで親交のあったスピルバーグが脚本・監督・制作を手がけた作品。
とくにロボットの息子とヒトの母親との別れは、涙なくしては見られません。
さすがキューブリックの元ネタという、「2001年〜」に通じる哲学的な匂いのする作品です。
後半ちょっと「長・・・」と思いましたが。
「地球に落ちて来た男」はニコラス・ローグの監督でデヴィッド・ボウイ主演、
1976年のイギリス映画です。
 宇宙から「落ちて」来て、帰れなくなった男の物語なのですが、
カフェで飲んだくれている宇宙人というのが斬新な作品でした。

 ともあれ、時代とともに、近未来の捉えかたは当然変わってきます。
「2001年〜」や「バーバレラ」が作られた1960年代後半から見れば、
40年後の現代はまさに近未来。
ロケットは確かにあって宇宙ステーションもあるけれど、
あの時代に予測したほどは発達していません。
その変わり、当時はその片鱗もなかった、ケータイ電話が見事な発展を遂げています。
 
ピエール・カルダンが宇宙ルックを提案したのが1968年でした。
そして、アポロ11号が月面着陸を果たし、人類がはじめて月に立ったのが1969年。
「人類にとっての偉大な一歩」を刻んだ飛行士が、
月面に星条旗を打ち立てたのを見た時、
誰のものでもない美ししいものを誰かが勝手に「俺の!」と言って、
ワシづかんでしまったような、軽い不快感を感じました。
もう今となっては、国際宇宙ステーションでミッションを遂行する日本人の姿も見慣れ、
アメリカでも日本でもどっちでもいいやという気になっていますが。
原発の事故直後、この事態がもっと悪化したら、
もう地球上どこに逃げても放射線から逃れられないなどと言われたものです。
こうして人類は地球を追い立てられていくんだろうか、
でも、まだ全然準備が整っていないじゃないと思ったものです。
 そう、「2001年宇宙の旅」では人類は月に移住しているけれど、現実ではまだまだ。
月面でポロシャツやドレスシャツを着て暮らせるようになるまで、
なんとか地球をもたせて欲しいものです。

ちなみに「史上最高のSF映画ベスト10」は、下記の通り。
1位『ブレードランナー』(82)、
2位『スター・ウォーズ エピソード5 帝国の逆襲』(80)、
3位『2001年宇宙の旅』(68)、
4位『エイリアン』(79)、
5位『スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望』(77)、
6位『E.T.』(82)、
7位『エイリアン2』(86)、
8位『インセプション』(10)、
9位『マトリックス』(99)、
10位『ターミネーター』(84)

まあ、古いのばっかり。
近未来に思いを馳せていた、あの頃が懐かしいという結果のような気がします。

 

 
 

「一丁倫敦」を歩く

 知り合いのプレスの方から退職のご挨拶メールがきました。
 パリのブランドの日本代理店で仕事をしていた人です。
今後は、「心機一転イギリスで生活を始める予定でいます」とのこと。
数ヶ月前には雑誌エルデコでずっとおつきあいがあった編集部の方が、
やはり退職されて、しばらくロンドンで暮らしてみるとのこと。
二人とも、パリでなくロンドンというのが、ちょっと意外な気がしました。
友人のデザイナーも今、ロンドン移住を模索中です。
別の友人のお嬢さんは夏からロンドンの美術学校に留学されるし、
最近、ロンドンというキーワードがちょくちょく耳に入ってきます。

あの街は私にとって、トータルで5年近く暮らした、とても親しみのある所なので、
通りや家並みを思い浮かべると、懐かしさがじんわりと身内に広がってきます。
はじめてロンドンで暮らして帰国したあと、あの街が恋しくて仕方ありませんでした。
もう数十年も昔のことなので、当時、
ロンドンの街並みや空気感が感じられる唯一の場所は銀座や丸の内でした。
クラシカルで重厚な英国式の建物が建ち並び、
セヴィル・ローのような仕立屋やパブ風の店もあったりしたのです。
それは、明治時代、日本政府が英国から建築家を招き、
ロンドン直輸入の設計で建てた赤煉瓦のビル街の名残です。
実際、丸の内は明治時代に「一丁倫敦」と呼ばれていたのだそうです。
今風にいえばプチロンドンでしょうか? 
そんなプチロンドンを形成していた赤煉瓦の建物は、相次いで老朽化し取り壊されて、
今ではめっきり姿を消しています。
とはいえ、1914(大正3)年開業の東京駅の赤煉瓦の建物はじめ、
丸の内や銀座界隈は、明治や大正の人々が近未来を見据えて街づくりしただけあり、
今でもほかの東京の街とは異なる、独特の都市の空気を感じさせます。
東京駅は今、東京大空襲で消失した屋根部分を復元工事中で、
来年6月にはドーム型の屋根を持つオリジナルの壮麗な姿が再現されるそうです。
駅周辺は新丸ビルや丸ビルをはじめとした高層ビルが建ち並び、
日本を代表するビジネス街という言葉通りの景色が広がっています。
旧丸ビルは大正12年に竣工した日本初のショッピングモールでした。
ちなみにうちの祖父は旧丸ビル内にあった美術品店の番頭(今の店長ですね)で、
店員だった祖母と恋愛の末、結ばれたのでした。
我がジジババが先鋭的な社内恋愛を育くんだ旧丸ビルは1999年に取り壊され、
2002年に旧丸ビルの3階部分までを再現した新ビルが開業。
その丸ビルを右手に見て、国道402号を南下していくと、
この街のランドマーク的な建物のひとつ、三菱一号館美術館が見えてきます。
英国式赤煉瓦の建物の背後に、
現代的なガラス張りの高層ビルがぴったり寄り添って建っている様子は、
まるでフォトモンタージュが生み出したフェイク画像のようです。
「三菱一号館」ビルは、1894(明治27)年、
英国人建築家ジョサイア・コンドルが設計した、丸の内初のオフィスビルでした。
建物全体の優美なロココ調のデザインは、
19世紀後半に英国で流行ったクイーン・アン様式なのだそうです。
昭和40年代初期に老朽化で解体された建物を、2002年に忠実に復元。
現在は美術館と、明治の銀行を復元した部屋がカフェになっていて、
古き佳き時代の面影を愛でつつ、まったりお茶することができます。
赤煉瓦のビルと新しいビルの間の細い道を入って行くと、
中庭が広がる丸の内ブリックスクエアがあります。
まるで、ロンドンの公園の一角のような中庭に面して、
フレンチの巨匠が監修するブーランジェリーとパティセリー、
「ラ・ブティック・ドゥ・ジョエル・ロブション」などがあります。
ここのガレットはさすがにおいしい!といいたいところですが、
なぜかいつ行っても混んでいて、まだ未食。ゲットできたら噛みしめて報告します。
ほかにはスペイン王室御用達のショコラテリア、「カカオサンパカ」とか、
大人気のキャス・キッドソンとか、色々入っています。
ここで注目したいのは、「PASS THE BATON」という雑貨&リサイクルショップ。
ここは普通のリサイクルショップとちょっと違って、
出品物には持ち主の実名と顔写真、出品物にまつわるエピソードが添えられています。
出品者にはスタイリストやファッションディレクター、
カメラマンなど、かなりの有名人も。
つまり、不要品処理施設なのではなく、
大切にしていたモノを大切にしてくれる誰かに繋ぐ、「バトンを渡す」、
モノを通した交流の場のようで、掘り出し物もかなりあります。
丸の内というとエルメスやバカラといった高級ブランドのみのイメージがありますが、
一見地味なこういう店が出ているという所に、新しいい時代を感じます。
中庭では、女性以外にも男性サラリーマンが休んでいたり。
のんびりアイスクリームを食べている人がいたり。
都心のディープな一角に生み出された、人工的なレトロな建物と緑のオアシス。
どこか舞台装置のような空間ですが、それもまた都市の楽しみのひとつといえます。

そんなクラシカルで異国情緒漂う一角と対照的なのが、
もうひとつのランドマーク、国際フォーラムです。
セミナーなどに使われる会議室が詰まったガラス張りのオーバル型の建物と、
演劇やコンサートやイベントが開催される大小4つのホールなどがあります。
通路を兼ねた中庭には樹木が植えられ、
ミュージアムショップやレストラン、カフェもあり、
ここもまた都市の建物空間ならではの雰囲気があります。
けれど、三菱ブリックスクエアがどこかヨーロッパの街や、
仮にもその街に流れる時間を感じさせるとしたら、
国際フォーラムはまごうことなき現代トーキョーの姿!という感じです。
開館はバブルがはじけきった1997年ですが、
多分構想はバブル時代に練られたものであり、
時代の先端を行っちゃうよ!という勢いや気負いがみなぎっていて、
インドなど、今現在勢いのある街には、
きっとこんな建物や施設がいっぱいあるんだろうなと思わせてくれます。
施設は地下で有楽町駅と直結しているのですが、
このところ地下通路は節電で、夜は薄闇の中。
ここでも現代トーキョーがリアルに現れています。
国際フォーラムから日比谷方面に歩き、仲通りに出ると、
煉瓦タイルをモザイクのように敷き詰めた車道と、
同じくらいの幅のある広い舗道、その境に街路樹が並んでいます。
両側にはペニンシュラホテルをはじめ、バカラなどの海外高級ブランドショップが並び、
典型的な丸の内に出会えます。
この仲通りは明治時代から昭和初期にかけて赤煉瓦の建物が建ち並び、
まさに一丁倫敦の最強エリアだったようです。
1930年代の建物を一部復元したDNタワー21はじめ、
こうした方式が多いのもこの街の特徴です。
ある種、丸の内は歴史的な街に仮装した空間でもあり、
ビジネス街であると同時に街造りテーマパークでもあるような気がします。
このあたりはまた、今年100周年を迎えた帝国劇場をはじめ、
日生劇場、宝塚劇場、シアタークリエと名だたる劇場が並んでいます。
その面でもウエストエンドという世界に誇る劇場街のあるロンドンを彷彿させます。
帝劇の正面には皇居、その南側に隣接するのが日本初の西洋式公園として、
100年前に誕生した日比谷公園です。
樹木や花畑に囲まれた散策路や広場だけでなく、音楽堂や図書館もある都市型公園で、
それもやはりロンドンを思わせます。
平日でも、このあたりを歩くと、
舞台やコンサートに行く人達が劇場近辺を行き来しています。
芝居という異空間に触れるあとさきの時間に、
銀座や丸の内はなんてふさわしいんだろうと思うと同時に、
この街を歩いていると、かつて、ロンドンを模倣した街が、
アジアの覇者を経て、今、新しい方向を模索しつつ息を潜めているような気もします。
 
そういえばクールビズは、アフター5の行動を身軽にしてくれそうですね。
以前なら時間がなくてスーツのまま劇場やコンサート会場に突撃という所を、
この夏はカジュアルなシャツにコットンパンツでイケそうですし。
ちょっとおシャレしたい観劇などには、
ウインザーワイドカラーのロンドンストライプ、
ネイビーのクラシックモデルなんかがおすすめです。
麻のパンツを合わせ、麻の薄手ジャケットを手に持って。
夏の夜の丸の内・銀座を楽しんでみては?

*写真は、三菱一号館美術館の外観と、中庭です。
 
 

南国の藻が未来を拓く

先日、東京・大阪間を約1時間で結ぶという、
リニア中央新幹線についてのニュースを見ました。
東京から時速500kmで走るこの超電導リニアモーターカーは、
名古屋開業が2029年、大阪は2045年なのだそうです。
今から34年後では、とんだ近未来な話ですが、
もっと気の長い話題が、先頃発表された超音速ジェット機。
こちらはヨーロッパの航空会社EADSがパリの国際航空ショーで発表したもの。
現在の旅客機と同じようにターボジェットエンジンによって離陸し、
その後はロケットエンジンに切り替えて急上昇。
上空でラムジェットという超音速用エンジンに切り替え、
現在の旅客機より約3倍も高い、上空約3万2千メートルを、
音速の5倍のマッハ5で吹っ飛んで行くのだそうです。
実用化は2050年頃。
かくして人類は東京ーロンドン間を2時間半で移動できる世界に突入するらしい。
ちょうど現在の新幹線による東京・大阪間の所要時間ですね。
しかも、この音速機、悪評だったコンコルドと違い、
遙か上空を飛ぶので騒音とも無縁なのだとか。
もう数十年前にパリでコンコルドが頭上を飛んで行った時の、
この世の終わりかと思えるような轟音がいまだに脳裏にあるので、
音速機と聞いてまずそれを思い浮かべました。
が、そんな私を置き去りにして科学はさっさと進歩していたようです。
さらに、ここがポイントですがこの音速機、
植物から合成したバイオ燃料でターボジェットを動かすとのこと。
ターボ以外のほかのエンジンの燃料は水素と酸素なので、
排出するのは水だけなのだそうです。
つまり、地球温暖化の原因となるCO2(二酸化炭素)を全く排出しない、
早い上にエコなジェット機というわけです。
ひと昔前までは、早さや効率だけが求められたけれど、
昨今は効率と同時に、いかに環境を守れるかも求められます。
そんなことから、原発メインだった日本でも最近、
自然エネルギーが脚光を浴びるようになりました。
太陽光、風力についで注目されているのが、バイオマスエネルギーです。
古代の生物から生成する石油、石炭、天然ガスなどを化石エネルギーと言うのに対して、
バイオマスは現代生活で身近にある動植物から生成される燃料を使うので、
生物エネルギーと言われます。
昔からお馴染みの薪や炭もいわばバイオマスエネルギー。
さらに現代は新技術によって、木材や海草、生ゴミ、紙、
果てはプランクトンなどの生物資源を燃料にして発電できるようになっています。
以前、環境保護大国スゥエーデンの人にインタビューした時、
「コーヒー豆で車だって動かせるよ」と力説していました。
日本でもコーヒーのかすなどを使った代替えエネルギーの開発が進んでいるようですが、
今、最も興味深いのは「オーランチオキトリウム」の存在です。
沖縄のマングローブの根元に棲息している藻で、
光合成を行わず水中の有機物を食べて油を作り、細胞内に溜め込むのだそうです。
油を作る藻はほかにもあるようですが、
「オーランチオキトリウム」の生産量はほかの藻類の10倍以上。
成分は石油とほぼ同じで、代表的なバイオ燃料の原料であるトウモロコシと比較しても、
同じ広さの土地で生産できる油はトウモロコシの5万倍なのだそうです。
例えば琵琶湖の1/3、20万ヘクタールの面積でこの藻を培養すれば、
20億トンの石油が生産でき、世界の石油需要量である50億トンの内、40%を日本で生産できるのだとか。
なんと!日本がブルネイみたいなお金持ち産油国になれると!
OPECなんかも参加しちゃったりするんでしょうか?
しかし何がスゴイって、これを発見した藻類学者の渡邊信・筑波大教授です。
沼や池にいる藻は4万種以上もあって、
教授は効率よく油を作る藻を求めて世界の池や沼や洞窟まで調査し、
やっと沖縄で出会ったのがこの「オーランチオキトリウム」だったのだとか。
教授はこの藻が作った代替えエネルギーでトラクターを動かす実験にも成功しています。
藻類を研究している人が国の命運を決める・かも知れないはめになる。
新時代の到来であることは確かです。

そんなバイオマスエネルギーを使った音速ジェットが2時間半で繋ぐヨーロッパの国々。
1960年代、お金はないけど時間だけはあるという若者達は、
シベリア鉄道で一路ヨーロッパををめざしました。
橫浜から船でソ連(現ロシア)のナホトカまで行き、ナホトカからモスクワ、
さらにモスクワからヨーロッパの国々へと列車で行く旅で、
日本を出てから目的地の欧州の街にたどり着くまで一週間以上かかったといいます。
今なら一週間といえば、日本を発って平均10時間で目的地に到着し、
異国の街を観光して回り、帰路に着くくらいの日程です。
それが50年後には2時間半。早朝に出れば日帰りだってできてしまいます。
「今日はちょっとミラノで買い物してパリで晩ご飯食べて帰って来るわ」みたいな。

先日、高校時代からの親友がオーストラリアのメルボルンから久しぶりに里帰りしました。
彼女はイギリスで知り合ったアーティストのパートナーとオーストラリアに移住。
2年ぶりに会う彼らはデザイン違いの白いリネンのシャツを着て、涼しげで清潔な感じでした。
オーストラリアの彼らの友達は殆どが、なんらかの創造活動をしているアーティストで、
センスのあるなしに関わらず、みんなおしゃれに熱心なのだとか。
そんな友達連中の主なショッピングはネットで、
特に日本のファッションが人気なのだそうです。
「この前も京都にすごくスタイリッシュな靴を作っているメーカーがあって、
サイズが27の女友達が別注したって言ってたわ」とのこと。
京都のメーカーも遠い海の向こうの街から、
オーダーがくることは見越していたのかも知れませんが、
あの古都の街から革靴が海を渡り、南半球の小さな街に届くことを考えると、
とても不思議な気がします。
そう、この土井縫工所のシャツも、時に海を渡り陸を走り、
丘を越え野を越え、未知の街に届けられています。
燃やしてもCO2を排出しない、布製の袋に包まれて。

世界の距離はリニアモーターカーより音速ジェットより、
急速に縮まっているんですね。

写真は、メルボルンからの親友カップル。

イタリアの陰謀

私が住む東京の小さな町には、駅周辺だけで3軒もイタリアンレストランがあります。
まっとうな日本蕎麦屋も日本料理屋もないくせに、
イタリアンレストランだけは複数あるというこの不思議。
気がついたら日本の胃袋がオリーブオイルとガーリック風味に侵略されていたのです。
なぜ日本でこれほどまでに、イタリア料理が一般化したのか?
イタリアの陰謀でないとすると、調理法が比較的素朴でシンプルという理由が考えられます。
イタリアは南北に長い国で、クールな北とホットな南では、
人の気性もオリーブオイルの味も、それぞれの郷土料理も違います。
酪農が盛んな北イタリアでは、美食の都といわれるピエモンテはじめ、
フランス料理のようにバターやクリームを使います。
(もともとフランス料理はイタリア北部の宮廷料理がオリジナルで、
フランス王家に嫁いだイタリア王女の料理人が伝えたものだとか)。
日本で知られるオリーブオイルやトマトを使ったものは、
ナポリやシチリアなど南部の料理の特徴です。
海に面した南部の料理はタコやイカなど魚介類も登場するし、
シチリアではマグロの目玉を使った名物料理もあります。
潮の香りとスピーディかつシンプル。
このあたりが日本人の味覚に合いやすかったのでしょうか?
さらに日本のイタリアンレストランというと、
グランメゾン風の豪華なものから、ごく普通の民家をちょっと改装したものまで、
バリエーション豊富というか、場所を選ばない。
気軽なスタンスでオープンできるカジュアルさ、自由さも、
一般化の要因のひとつかも知れません。

そんなイタリアンレストランを、シェフのタイプ別に分けてみました。
さらに私の独断と偏見で、タイプ別のおすすめを選んでみます。

【Type-1 イタリアで修行したシェフの店】

現地の一流レストランで1年から数年修行し、調理法およびその国の食文化を取得して、
日本に持ち帰っている。
特定の地域の料理というより、各地の郷土料理をカバーしているシェフが多い。
メニュー構成やレシピは、無理のない形でオリジナルを踏襲。
都心の一等地や郊外の住宅街でこじんまりした、気配りの行き届いた店を開き、
マダムと夫唱婦随で運営している場合が多い。
ちなみにあるシェフいわく、イタリアやフランスの三ッ星やめぼしいレストランで、
日本人の働いていない店を探すのは難しい、とのこと。
日本人はビザの関係からか、ヨーロッパ人より賃金が安い、その上、マジメでよく働く。
だからオーナーはみんな、日本人を雇いたがるんだとか。

Type-1でおすすめは「オステリア・ナカムラ」

イタリアンレストランの激戦区、六本木にあって、根強い人気を誇る店。
オステリアというのはイタリア語で「居酒屋」の意味。
オーナーシェフの中村直行さんがイタリア各地で修行していた時に
「オステリアの雰囲気が好きで、日本に帰ったらこんな店をやりたいと思った」とのこと。
ビルの2階にありながら、太い木の梁や格子窓があるせいか、店内は一軒家の雰囲気。
温厚な感じのシェフと気取りのないマダムが醸し出す空気は自然体で、
なおかつ暖かくて、すごく心地のいいお店です。
料理はスピーディでシンプル、パワフル、味もストレートにおいしい!
北を中心とした各地のメニューが楽しめます。
豚のグリル焼きの旨みは、豚肉好きでイタリアン好きだったら、
もうたまらん!という至福の味わい。
おいしいものを食べるという、直球にして究極の欲望を満足させてくれます。
カウンターから丸見えのオープンキッチンなので、料理ショーが観覧できるのもまた楽し。
それだけに、シェフとスタッフの和やかなやりとりが何より。
どんなにおいしい店でも、神経質でビリビリしてるシェフの店は空気がマズイです。
気を使ってしまってとても料理を味わうどころではありません。
というわけで、快適な空間でストレートなイタリアンを楽しみたい方におすすめ!

http://www.osteria-nakamura.com/

【Type-2 日本で修行したシェフの店】

日本の一流イタリアンレストランで修行し、スーシェフやシェフを経験した人が、
満を持して自分の店を持つパターン。日本人の味覚に適したイタリアンを創る人が多い。
そういえば今をときめく人気シェフ、タツヤ・カワゴエもイタリア修行未体験とか。
ある老舗リストランテのオーナーシェフが
「最近はイタリアに行ったことないってシェフがいるから驚きだよ」とおっしゃっていましたが、
それは日本に行ったことのない鮨職人による鮨バーin ニューヨークのようなものでしょうか。
ある意味、イタリア料理がそれだけ日本に浸透してきて、
和の風味に溶け合った新しいイタリアンテイストが育っているのかも知れません。
洋食が日本独自の料理になったように。

Type-2でおすすめは「イル・ギオットーネ 丸の内」

京野菜を使うなど地産地消のイタリアンで名を馳せた、京都の人気レストランの東京店。
京都東山店は古民家を改装した和モダンの渋い店構えですが、
こちらは東京駅からすぐの33階建ビル1階路面店というバリバリ仕立て。
丸の内OL層をターゲットにした(のか?)店内は、リッチ風味のニューヨークスタイル。
オーナーシェフは関西のイタリアン数店で修行し、関西一流店のシェフを経て独立。
料理は日本人の舌にぴったりの味わいで、
細かい所にひと手間かけたメニューが多く、このあたりも日本的。
野菜や魚介など地産の食材にこだわっている高エコポイントなレストランです。
料金設定もリーズナブルで、節電に合わせて短時間で楽しめる特別コースを設定するなど、
関西的な合理性やアイデアが成長の秘訣かも。
最近ショッピングも充実の丸の内で、ヘルシーランチを楽しみたい方におすすめ。

http://www.ilghiottone.com/home.html

【Type-3 シェフがイタリア人】

つまり、本物です。とはいえ、本国の中華料理より香港や東京のほうが日本人の舌に合うとは、よくいわれること。老舗、麻布のアントニオも以前そうでしたが、パスタがアルデンテじゃなかったり、ある意味、盲目的なイタリアン神話の縛りを解いてくれたりもします。

Type-3でおすすめは「リストランテ ピオラ」

近年、ある種のイタリアンとフレンチのレストランは、
両者の境がどんどん希薄になっています。
モダンなインテリア、素材がわかるシンプルな料理、アーティスティックな盛り付け。
シェフのスペシャリテ(得意料理)のひと皿だけでは、
それがイタリアンかフレンチか、東京の店かNYなのか、
あるいは麻布か小樽なのかも見分けがつかないという現象。
それが悪いわけではないし、グローバルでユニバーサルな世の中では無理もなく、
ファッションだって世界中の先進国で同じモノが流通しているワケですし。
でも、均一化は寂しいものです。

ところが、個性的でおしゃれな飲食店が多く集まる白金高輪にある、
この店だけは断固、土着的!!
オーナーシェフ、ヴァルテル・ダルコルさんが自ら手がけるインテリアは、
絵と絵皿がひしめきあう壁面やら、ヨーロッパ臭がむんむんしています。
店内フロアの真ん中にクロス掛けの小さい丸テーブルを置き、その上に花を飾ってある。
このあたりが、日本人にはあまりない空間処理感覚。
ヨーロッパのおばあちゃんの部屋に招かれたような、
地域に根ざした人の呼吸や思考が感じられます。カッシーニって何?な世界です。
日本でいえば、昔ながらの内装の蕎麦屋といいますか。
料理の味はトレンドのトーキョー・イタリアンと一線を画す、
ネイティブ・イタリアンな味わい。 
盛り付けもフレンチとのボーダーレスなものではなく、
イタリアの大地を背負ってそうな、郷土色豊かでパワフルで素朴なスタイル。
ちなみにメニューはイタリア全土の料理なのだそうです。
北イタリアのどこかの街角にありそうな、リアルな存在感を持つ店で、
日本人マダムもフェリーニ映画に出て来そうな雰囲気。
リトルイタリーを体験したい方には、ぜったいおすすめです。

地下鉄・白金高輪駅から徒歩7分
Tel.03-3442-5244
11:30〜14:00(LO)、18:00〜22:30(LO) 不定休

写真は、イタリア臭むんむんのピオラの店内と料理「ブカティーニとスペックハム、トレヴィーゾ産ラディッキョのトマトソース」。ブカティーニはパスタ、スペックは生ハム。ともに北イタリアの特産。ピンクの花びらのようなものがラディッキョ。シェフの出身地、北イタリア、トレヴィーゾの特産で、しゃっきりした歯ごたえとほろ苦さが特徴。

バスを待つ近未来

早くも梅雨いりです。
曇り空の下、紫陽花だけが光を放つ街角で、
バス停に椅子が置いてあるのを見かけました。
時折、ありますよね、
コカコーラのロゴ入りベンチとかでなく、
近所の人が自主的に置いたような、やけにプライベート感溢れる椅子。
しかも2〜3脚バラバラなものが並んでいたりします。
今日見たのは、いかにもプールサイドか海の家にありそうな白いヤツと、
灰色のいわゆる事務椅子と、
昭和のスナックみたいな丸っこいビニール椅子が、
横一列に並んでいる光景でした。
梅雨空のもと、そこだけやけにリゾート感漂う一脚と、
やけに経理のおじさん的一脚、
そして水割と歌謡曲が似合いそうな一脚が並んでいるのでした。
椅子の前にあるのは紺碧の海でもきまじめな仕事机でも、
バーカウンターでもなく、バス停の標識とアスファルトの道路。
アンバランスな取りあわせが小さなドラマを描いています。

椅子というのは、誰も座っていない時でさえ、妙に人間味があって、
ミステリアスな存在感があります。
だから使い古された椅子がバス停に並んでいると、
本来の目的である、人を座らせるためというより、
椅子そのものがバスを待っているような、
異なる人格と人生がバスを待っている感じがして、
どきっとしてしまいます。
さらに椅子の年代も様々。
今日見たスナックのような椅子は、
いかにも60年代の産物という近未来感満載のモダンなデザインでした。

20世紀初頭にドイツで生まれたモダンデザインが、
その後ヨーロッパで成長して世界中を席巻するようになったのは、
1950年代から70年代初期にかけて。
日本では昭和30年代から40年代の頃です。
服でいえばピエール・カルダンの宇宙ルック、
キッチン雑貨でいえば天然素材のザルが、
オレンジやピンク色のプラスティックに変わった頃です。
家具屋さんのショーウインドウに置いてあるソファやダイニングチェアが、
唐突にモダンになり、それがまた今にして思えばチープでポップでカラフル、
子ども心を刺激されたものです。
確かその頃、我が家に最初にやって来たダイニングチェアも、
背もたれとシートは真っ赤なビニールレザーでした。
これは当時、ものすごく出回ったタイプで、
先日も下町のラーメン屋さんで、黄色バージョンが、いまだに並んでいて感動しました。
欧米と違って最近までリサイクル思想が希薄だった日本では、
古いモノは捨てられる運命でした。
それをかいくぐって生き残る、あの頃のモダン家具に出会うと嬉しくなります。

箱根・芦ノ湖畔にあるプリンスホテルがリニューアルする前のレストランでは、
椅子がイームズのDSS-N、通称シェルチェアだったので少し驚きました。
(写真/下・左)
チャールズ&レイ・イームズはミッドセンチュリー(1940〜60年代)の、
アメリカを代表するモダンデザインの巨匠夫妻です。
北欧モダンの巨匠、アルネ・ヤコブセンと並ぶ、
ミッドセンチュリー家具界のアイコン的存在です。
しかもこのホテルの椅子は古くて、
まるで1950年にこの椅子がはじめて世に出た時に購入したのか?
と思えるくらい年期が入っているのでした。
西麻布や表参道の小じゃれたカフェにあると、
だから何、としか思えないイームズのシェルチェアが、
庶民的なビュッフェスタイルのレストランに、
しかも誰もこれが20世紀の名作家具だなんて知っちゃいないわ、
店のスタッフさえ(多分)気にしちゃいないわ、という忘れ去られた風情であることに、
味わい深くも感慨深いものを感じてしまいました。
(その後、レストランは改装してグレードアップ、今、この椅子はいずこへ?)

中央の写真は、日比谷にある日生劇場の椅子とテーブルです。
もうまさに60年代にタイムスリップしたようなリアルな遺産にして現役です。
1963年にこの劇場がオープンした当時は、高度経済成長のド真ん中。
その上昇気流に乗ったデザイン界の、アゲアゲだった意欲や勢いが感じられて、
甘く切ない思いにとらわれます。
ここはインテリアが舞台同様ドラマティックで幻想的な劇場で、
階段やテーブル、椅子といったものはオープン当時のデザインのまま。
60年代に子ども時代を過ごした者に取っては五感がノスタルジーで破裂しそうです。

一方、当時に較べれば豊かになった今の時代のモダン家具の取り入れ方は、というと。
昨年、箱根にある「彫刻の森美術館」のギャラリー・カフェで、
パントンチェアがずらりと並んでいるのには驚きました。(写真/下・右)
ヴェルナール・パントンはデンマークのデザイナー・建築家で、
これまたミッドセンチュリーの巨匠の1人です。
一昨年、日本でも回顧展が開かれたりしました。
これは1959年に発表され、
半世紀後の今なお斬新なモダンフォルムを誇るマスターピースで彼の代表作です。
モダンでありつつ、後ろから見ると足元がドレスや着物の裾のように優美です。
以前、京都の日本家屋に住んでいるフランス人アーティストが、
和室の畳の上に紫色のパントンチェアを置いている写真を見て、
いきなりモダン旋風が吹き荒れた昭和40年代を思い出しました。
我が家でもステレオとかソファは和室の畳の上に置かれていたものです。

当時の人々が近未来に思いを馳せ、様々に挑戦してきたデザインを見るにつけ、
あの頃の近未来にいる私たちがそのココロを受け継いで、
着実に前進して行かなかればと思います。
思い出は過去を振り返るためにあるのではなく、
未来を生きるためにあると、フランスの作家がいったそうです。

スーパーに昇級

 前回、このコラムでクールビズについて書いた翌日に、
「今年はスーパー・クールビズです」
というバージョンアップが環境省から発表されてびっくり。
より一層の軽装化を求めるということで、それによればTシャツでも無地ならOK、
ジーンズも穴があいてなければOK、なのだそうです。
ジーンズって、決して涼しくはないと思うのですが、まあ、カジュアル度の指標みたいなものなのでしょう。
チノパンもOKとのことですが、
すべてにおいて「だらしなくない程度」という注文がつけられています。
とすると、カーゴパンツなんかは?
原型は貨物船で荷物を扱う人たちの作業着ですし。
あるいはミリタリーパンツなんかは?
と、謎が深まるスーパー・クールビズの定義。
そして、いくら
「今年はスーパーなんですから、もっともっと軽くいっちゃってください、
ささ、遠慮なく」
と肩を叩かれても、Tシャツとチノパンで出社できる会社はそうそうないでしょう。
業種や部署にもよると思いますが、ほとんどのオフィスでは、
ノーネクタイやポロシャツが限度なのではないでしょうか?
環境省がいうわりに閣僚の方々だって、
テレビで見る限りみなさんノーネクタイ止まりです。
中にはきっちりネクタイをしている方もお見受けします。
テレビの報道番組のキャスターもネクタイ&ジャケット着用です。
枝野官房長官や細野首相補佐官、およびキャスターの方々が、
Tシャツとチノパンで登場すれば世間のコンセンサスも変わるかも、ですね。

 そういえば先日、テレビで外国人ジャーナリスト3人の論客が、
「原発問題を徹底討論する」という番組がありました。
もう終わりかけの時に見たので内容よりも、
登場する外国人ジャーナリストの日本語の流暢さと、
イタリアのテレビ局の極東特派員であるピオ・デミリアさんのおしゃれっぷりが、
印象に残っています。
50代半ばのデミリアさん、ちょっとメタボなボディラインで、
いかにもイタリアンな感じ。
でもよく見るとマルチェロ・マストロヤンニに似ていなくもない風貌です。
そのデミリアさんが淡いブルーのドレスシャツを着ているのですが、
ボタンは2~3個外して、もちろん下着はなしで、袖はラフにまくりあげている。
全体的にきわめてラフな感じで、
もはやだらしない領域に片足突っ込んでいるのですが、
なんともカッコいいし、大人の男の色気もあります。
イタリア人TVスタッフは全員こんな風にお洒落なのか?と思って、
デミリアさんが所属するSKY TG24というテレビ局の番組を、
you-tube でみてみると・・・そうでもないようです。
なんかもっさりした野暮ったいスーツを着てるおじさんもいるし
(ちなみに女性キャスターはえらく胸のあいたトップスという、日本だったら、
たちまち叩かれそうなファッションの人が多いようです)。
まあ、イタリア人だからといって、全員がファッショナブルでないのは、
日本人だからといって全員着物を着られるわけではないと、そんな感じでしょうか?
そうイタリア人といえばもうひとつ、全員がハイテンションで明朗快活、
そしておしゃべりというイメージがありますが、
インタビューでお会いしたパンツェッタ・ジローラモさんは、
見事にクールで控えめで言葉を選んで語るタイプのイタリア人でした。
 来日してもう長い年月が経つジローラモさんに
「今と昔で、日本の男性のファッションはどこが一番変わりましたか?」
と聞いたら、答えは「靴」。
 昔はほとんどのサラリーマンが、なんのしゃれっけもない靴を履いていたけれど、
今では若いサラリーマンを中心に、すごくお洒落になっているとのこと。
実際、近頃は電車の中で、若いサラリーマンの人がやけに先がとんがっていたり、
やけに先端までが長いフォルムの靴を履いているのをよく見かけます。
 足元にこだわることはファッションの仕上げでもありますし、
サラリーマンのお洒落アベレージが円熟の境地に入っているのかも知れません。
と同時に、これは私が感じていることですが、10年くらい前から、
カジュアルなイタリアンレストランやフレンチレストランで、
男性の1人客がパスタや鴨肉のソテーなんかを、
黙々と食しているのを見かけるようになりました。
グルメ志向の中年や高齢男性ならいざ知らず、
若い男性が1人でそういう店でご飯を食べている光景、
最初はちょっとびっくりしましたが、最近はもうよくある図になってきました。
定食屋、ラーメン屋、蕎麦屋、あたりが男性の1人客には入りやすいと思いますが、
そこにイタリアンやフレンチが加わったのは、
若きサラリーマンの靴が飛躍的におしゃれになった頃と時を同じくしているような。
(同様に、東京近郊ではどんな駅前にもあった蕎麦屋が続々消滅し、
代わりに「なんちゃってイタリアン」が増えてきたのも同じ時期という気がします)
で、カッコいい靴やシャツをカッコよく着こなせる人々は増えているのですが、
今から10〜20年後には彼らが、デミリアさんみたいに、
だらしない領域までのラフな着こなしを、
カッコよく洒脱にこなせる中年男性になっているのかも知れません。
ともあれ、かつてドレスシャツは下着も兼ねていたという歴史もあり、
欧米ではシャツの下に下着を着ないのが基本です。
この際スーパー・クールビズ精神にのっとり、
シャツ1枚で下着は着ないという冒険をしてみるのもおすすめ。
ただし日本の夏は暑いのでローションやパウダーなどの、
デオドラント(制汗)対策をお忘れなく。